特殊神事『田遊び』 国重要無形民俗文化財・板橋十景
我が国は、古くから稲作を生活のたよりとして生きてきた国柄だけに、田に関する祭事、芸能の類が極めて多い。
ここ武蔵野の一隅、徳丸の里にも村人が、先祖代々純粋・素朴に、観光・見せ物的に堕落せず古俗のままの姿で受け継いできた『田遊び神事』がある。
この神事は、北野神社創建の日、すなわち2月11日の夜、拝殿前に、二間四方のモガリ(舞台)が作られ、四方に忌竹を立て、注連が張り巡らされ、その中央に大宮太鼓が据えられる。この太鼓が当日の祭りの主楽器にもなり、同時に田のシンボルにもなる。
18時頃、このモガリの中に諸役が勢揃いする。祭を主導する「大稲本」・それを補佐する「小稲本」・稲を象徴する「早乙女」・「鍬取り」で構成される。「町歩しらべ」から順を追い「倉入れ」迄を凡そ2時間足らずで模擬していくことにより穀霊がこれに感化(かま)けて、五穀豊穣という結果を与えてくれるという計算と信頼が根底にあった。 またこの諸役につく人達は、往古は徳丸郷草創期の家の氏子、または洞(字)の代表の家が代々それぞれの諸役を受け継いできた。現在は、「徳丸北野神社田遊び保存会」を組織し、その氏子の子孫達が継承し奉仕する。
この里は、今やベットタウンと化し、昔の農村風景を見つける事は困難であるが、(現在の高島平は、一昔前、徳丸田んぼといわれた大穀倉地帯だった) 里人達は、農民の心を今に受け継いでおり、それが田遊びという古い神事の上にはっきり投影され、祭祀として力点をおいているところに重要な意義がある。
令和7年 2月11日 (1,030回目の田遊び奉納です)
17時 春季大祭斎行
18時 田遊び奉納
田遊びについてのお問い合わせは、徳丸北野神社社務所へ